大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台家庭裁判所 昭和44年(家)514号 審判

申立人 山下とり(仮名)

相手方 山下ゆみ(仮名) 外八名

主文

被相続人山下勘三郎の遺産

仙台市○○字○○△△番

一、畑 弐四四平方メートル 及び

同市○○字○○△番

一、田 四六九平方メートル

をいずれも申立人が六分の二、相手方川端徳子、同松江さち子、同山下守三、同山下ひろ子各六分の一の割合の持分を有する共有とする。

理由

一、本件申立の要旨は「被相続人山下勘三郎(昭和三七年七月一九日死亡)名義の財産は、現在仙台市○○字○○○△△番、畑弐四四平方メートル及び同市○○字○○△番田、四六九平方メートルのみで、他はことごとく長男山下富夫(昭和四〇年三月六日死亡)に相続による所有権移転登記がなされてしまつているが、右所有権移転登記は相続人間の分割協議に基づいて行なわれたものではなく同人が勝手に行なつたもので無効であるから全遺産について分割の審判を求める。」というにある。

二、そこで審理するに本件記録添付の関係各戸籍謄本、前記二筆の土地の各登記簿謄本、山下富夫の登記申請に関する一件書類及び当該各土地の登記簿謄本、家庭裁判所調査官原田芳郎作成の調査報告書二通、並びに申立人(二回)、相手方川端徳子、同松江さち子、同山下茂良、同山下守三、同山下ひろ子、同山下ゆみ(二回)、同山下喜好の特別代理人原田光一各審問の結果等を総合して認められる事実は次のとおりである。

(一)  被相続人山下勘三郎は昭和三七年七月一九日死亡したが、申立人はその妻であり、相手方山下ゆみは昭和四〇年三月六日死亡した被相続人の長男富夫の妻、相手方山下喜好、同俊夫、同洋一はいずれも右富夫の子、その余の相手方らはいずれも被相続人の子である。被相続人は生前農業に従事し、死亡当時前記現在も被相続人名義となつている二筆の不動産の外三七筆の不動産を所有していたが、昭和三八年三月七日長男富夫に右二筆を除いた三七筆につき相続による所有権移転登記手続がなされ、更に富夫死亡後昭和四〇年九月一七日富夫の相続人である相手方ゆみ、同喜好、同俊夫、同洋一の共有登記手続がなされ、更にそのうち九筆については昭和四一年六月一〇日付で相手方茂良に贈与を原因とする所有権移転登記手続がなされ、六筆については同日付で件外山下しげ子に対し売買を原因とする所有権移転登記手続が、一筆については昭和四三年七月二四日付で件外落合幸之助に対し売買を原因とする所有権移転登記手続がそれぞれなされている。

なお長男富夫の登記申請は相続人間の分割協議書等を添付して行なわれたものでなく、他の相続人らについてはいずれも生前に贈与を受け、もはや相続すべき持分がない旨の証明書いわゆる自己証明書を作成し、それを添付して手続が行なわれているものである。

(二)  右のように長男亡富夫に前記二筆を除く被相続人の遺産のことごとくが移転登記されるに至つた経緯は被相続人死亡当時申立人は長男富夫夫婦と同居し農業に従事していたので、富夫を後継者と目し、他の子供達はいずれ皆独立して外へ出るが、富夫だけはいわゆる跡とりとして当然将来も残つて農業を経営し、申立人を扶養して行くものと考えており、富夫自身も早くから農業後継者として遇されて来た結果、当然今後も申立人と同居して同人を扶養し、未だ学業半ばであつた弟妹のめんどうをみて行くつもりであつたから、被相続人死亡後間もなくから申立人も、右富夫も被相続人の遺産は富夫が全部相続すれば好都合であると考えるようになり、その実現をはかるため被相続人の実弟原田光一、申立人の実弟高木清一郎らに相談し、その賛成を得て実行に移されたもので、唯その際原田光一は、不動産は全部富夫に与えるにしても、弟妹らに若干の現金でもやつたらと提案したが申立人はこれに対しては反対であつた。そこで被相続人の四九日の法要に親類一同が集まつた折、原田光一から被相続人の遺産相続問題は長男富夫に全部相続させたいから協力してくれとの話をし、その席上特に積極的な反対も出なかつたところから早速原田光一と富夫が手分けして各相続人の許を個別に訪問し、印鑑と印鑑証明を貰い受け自己証明書を作成したものである。但し四九日法要の折原田光一から持出された相続の話は相手方徳子、同さち子の両名は聞いていない。又印鑑や印鑑証明を原田光一と富夫が手分けして貰いに行つた際、いずれの相続人に対してもその手続の方法が自己証明によるという具体的説明はせず、又印鑑を押捺すべき書類をあらかじめ関覧させた上で貰い受けたわけでもなく、唯富夫が相続するにつき必要だという点だけ了解して貰つたが、相手方とみえは、富夫だけでなく同人と申立人が共同相続するものだ了解し、その旨信じて手渡しており、又申立人については(相手方守三、同ひろ子は当時未成年につき申立人が代行)印鑑を自ら押捺したものか自ら原田光一に手渡したものか、或いは富夫が持出し印鑑登録のうえ押捺したのか明らかでないが、前記の如く当時申立人も富夫が相続することを積極的に希望していたのであるから、その手続に当然印鑑が必要なことは承知していた筈であり、当時異議を述べた形跡は全く認められないから、使用についても充分了解していたことがうかがわれ、このようにして原田光一の助力を得ながら富夫は他の相続人名義の自己証明書を作成し、それを用いて昭和三八年三月七日付で富夫に相続による所有権移転登記手続を完了させたものである。しかし相手方徳子、同さち子が嫁入りに際し通常の仕度を整えてもらつたほかは相続人のいずれも被相続人存命中に特に贈与を受けたと認められる者は存在しない。

(三)  このようにして前記被相続人名義のままである二筆を除くことごとくの不動産が富夫名義となつたので同人が農業に従事し申立人と共に生活していたが、そのうち男兄弟である相手方茂良、同守三の両名に対しては独立の際の家屋建設のため土地を分けてやるようにとの話が持上り、家庭内で協議した結果、仙台市○○字○○△△△番田七畝二一歩を分与することにまとまり昭和四〇年二月七日富夫が右茂良、守三両名に宛てて契約書と題する書面が作成されたが移転登記手続を行なわぬうち同年三月六日富夫は死亡した。

(四)  その後申立人と富夫の妻である相手方ゆみは同居生活を続けていたが、富夫存命中さ程でなかつた両名の不和が富夫死亡後にわかに表面化し激化して周囲の者らを憂慮させる程になり、申立人自身も相手方ゆみとの別居を強く望み、従前の生活設計をそのまま継続させることは次第に困難な状勢となつた。そのため被相続人の遺産について分配を考え直し、申立人の扶養や、富夫の遺族である相手方ゆみやその子供らの生活を如何にするかについて親族が集まつてしばしば話合いがなされ、同年九月始め頃の会議で最終的に、先に富夫名義に相続登記をした不動産中、(イ)富夫が相手方茂良、同守三に分与すると約束した田の外八筆、合計九筆を相手方茂良に取得させ同人が申立人と同居し扶養してゆくこととし、相手方守三には相手方茂良が将来土地を分与する。(ロ)一部の土地を売却して相手方ゆめとその子らの住む住宅建築資金に充当し申立人とは別居生活をする。(ハ)その余の不動産は相手方ゆめとその子らに取得させ生活の資とさせる等のことが決定された。そこでこの決定に基づいて前記(一)に記載したように一旦亡富夫の遺族に共同相続登記手続をし更にその後相手方茂良への贈与による所有権移転登記手続、件外山下しげ子に対する売買による有権移転登記手続がなされ、以後その内容に従つて申立人は相手方茂良と生活し、相手方ゆみは子供らと生活し現在に至つている。なお右最終案がまとまつた際の会議には申立人、相手方ゆみ、同徳子、同さち子、同茂良、同守三、同ひろ子、ゆみの子供らの代理人として原田光一、高木清一郎、梨本某(ゆみの兄)その他親族の山下市郎、山下敏春、川端松蔵(相手方徳子の夫)松江実(相手方さち子の夫)らが出席していたものである。

(五)  現在二筆の土地が被相続人名義のままとなつている事情は二筆のうち仙台市○○字○○△△番畑弐四四平方メートルは件外高木秀夫のために抵当権が設定されており、亡富夫も申立人も、相続登記に協力した原田光一も抵当権抹消されるまでは所有権移転登記手続を行なうことは不適当であると考え、亡富夫に登記の際も、又富夫死亡後の協議の際も対象としなかつたからであり、他の一筆同市○○字○○△番田四六九平方メートルはもと山下友治所有で被相続人が小作していたもので、昭和二三年七月二日農林省が自作農創設特別措置法により山下友治より買収し、同日被相続人に売り渡したが、登記もれであつたため県知事の嘱託により昭和四二年六月三〇日ようやく被相続人の所有名義となつたものである。

そのため相続財産から除外されていたものである。

三、以上認定の事実によれば、現に被相続人名義の二筆について分割協議が行なわれていないことは明らかであるが、問題は他の三七筆についてで、此の部分につき有効な分割協議が全くなされていないかどうかである。

まず昭和三八年三月七日付の亡富夫への相続による所有権移転登記手続の効力についてであるが、特別受益を何も受けていないのに内容虚偽の自己証明書を作成しこれにより相続登記がなされることは世上しばしば見られるところで後に紛争の生じた例も少なくない。これにつき内容虚偽である以上、仮に誰か一人に相続させようとの趣旨に出たものとしても効力がなく、改めて遺産分割ができるとの考え方もあるが、この方法が分割協議の便法として利用されている現状を考えると、一人の単独所有に帰せしめるという全員の合意があり、唯単に手続のうえで簡便な自己証明書を利用することをも了解しているような場合にまで一概に無効とする必要はないと思料する。唯本件においては前記認定のとおり、全員の明確な合意はなく、個別に訪問して了解を得て廻つた際も、大部分の者は唯亡富夫が相続することだけは了解してもどの様な方式で行なわれるかは全く知らされなかつたのであり、相手方さち子に至つては申立人と亡富夫の二人で相続すると思つたというのであるから全相続人が亡富夫独りに相続させることに合意し、唯便法として自己証明書を利用した場合であるとはとうてい認め難い。従つて亡富夫に登記がなされた後も相続人らは改めて遺産分割協議をなし得る状態にあつたものである。

そこで次に富夫死亡後、申立人、富夫の妻である相手方ゆみ、被相続人の子供ら全員及び親族の者らが集まり協議して財産の配分をとりきめたことについて考えてみると、ここで取りきめられた内容は前記のとおり、一部を売却し建築資金を捻出し、一部を亡富夫の相続人から相手方茂良に贈与するというものでいずれもすでに被相続人の遺産につき亡富夫に移転登記手続がなされていることを前提とし、それをそのまま利用して処理されているが、実態は富夫死亡後の状態の下における被相続人の遺産の配分方法を全相続人が協議し定めているのであるから、この際始めて被相続人の遺産につき有効に分割協議がなされたものというべきで、相手方ゆみとその子ら及び相手方茂良を除く相続人らは、共有持分権の放棄或いは贈与をなし、その結果被相続人の遺産は相手方ゆみとその子ら及び相手方茂良の所有となつたものと認めるべきである。

そうすると本件において分割すべき被相続人の遺産は前記二筆のみということとなり、これに対する各相続人の相続分の割合は右すでに分割ずみの遺産をも加えて算出することとなるが、相手方ゆみとその子ら及び相手方茂良が先の分割で取得した額は法定相続分を超えるものであること明らかであるから、同人らを除いたその余の相続人らのみで取得することとなるが、その割合は、特に相続人中特別受益者と認められる者も居らない本件では法定相続分に従い申立人六分の二、相手方徳子、同さち子、同守三、同ひろ子が各六分の一宛ということになる。そこで次にこの割合により現物をいかに分割するかが検討されなければならないが、右二筆の土地は現況いずれも農地であり、今直ちに宅地として利用する必要に迫られた者も居らず、引続き当分の間は申立人が農地として利用していくであろうことがうかがわれ、将来各人において具体的に利用の必要が生じた際に分割すれば足りると思われるが、又その際この二筆の取得者は申立人とその実の子等であり対立する相手方ゆみとその子らは除かれているからむしろ当事者間で円満に協議が行なわれる可能性が強く、更に又取得者の一人である相手方守三に対しては将来相手方茂良において先に分割取得した不動産中より分与するとの口約束もあり、そのことをも兼ね合わせて具体的分割を考える必要があるのでむしろ現在は分割せず、二筆とも同人らに前記持分により共有取得させることが相当であると思料する。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 千葉庸子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例